【大島季子さんインタビュー】 中小企業診断士は「人生の選択肢」を広げられる存在

【大島季子さんインタビュー】 中小企業診断士は「人生の選択肢」を広げられる存在

【第2回 組織を離れるという選択肢】
過去の記事:第1回

【大島季子さんインタビュー】

(写真撮影・田中 敏夫)

大島さんは2018年の1月に独立してスモールビジネスを支援されるようになりました。そこにはどのような想いがあったのでしょうか。受験生の頃のことから振り返ってお話をお伺いしました。

出産を控えながら診断士試験に臨む

――診断士の勉強を開始されたのはいつですか?

勉強を開始したのは2014年の秋ごろです。実はその年の春から夫と子ども2人を残し大阪で単身赴任をしており、できた自分の時間で仕事以外に残せるものをと考え勉強を始めました。その後3人目の子どもを妊娠して2015年の7月から産休に入り、勉強に集中しました。おかげでその年の一次試験を1回で通ることができました。

ただその後に出産を迎え、二次試験のときは休憩時間に授乳しながら受験していました。それでも受かると思っていたのですがさすがに無理でしたね(笑)

――大変な状況で受験されたのですね。その後はどうされたのですか?

翌2016年には通信講座に申し込みをして、赤ちゃんの面倒を見ながら二次試験の勉強だけを徹底的にやりました。翌年には産育休から復帰しなければいけなかったし、一次試験からの受け直しは大変なので必死でした。集中した甲斐あってその年秋の試験で無事合格しました。

その後の実務補習では企業経営に直接関われる魅力を感じ、次のキャリアに活かしたいという想いが湧いてきました。

自分が活躍する場は組織の中なのか?

――産育休から復帰後、企業内でも何か活動はされていましたか?

いえ、ほぼ活動はしていませんでした。本当は会社でこの資格を活かしたいという思いがあったのですが、すぐには希望の部署への異動が叶いませんでした。そのうえ、復帰とともにまた家族と離れての単身赴任の生活が始まり少し気持ちが落ち込みました。

そんなときに前回お話した先輩診断士に出会い、思い切って会社を辞めて独立することにしました。いつまでも人や会社のせいにしていては駄目だ、一旦収入は減ったとしても次のステージへ踏み出そう、と思ったのです。

――資格取得によって組織を離れる決断をされたのですね。

そうですね。診断士の勉強を始めたのも「自分の人生の選択肢を増やしたい」という気持ちがどこかにあったからなのだと思います。ほかの選択肢があれば、余裕も出てくるし心が豊かになり、アイデアが湧いてきます。

だから私にはそういう風に袋小路に入ってしまっている人の選択肢を増やすというミッションがあります。みんなが選択肢を持って選べるような世の中になればいいなと。だからいつも違う視点からアドバイスし、気づいていない価値に光を当てるようにしています。それにより、まだまだ選択肢=チャンスがあるんだ、ということを支援のときには伝えるように心掛けています。

・・・第三回に続く

西島 拓

西島 拓 取材の匠メンバー、中小企業診断士

神奈川県横浜市出身。旅行が趣味で2015年に全都道府県踏破を達成。その時に目の当たりにした地方経済の厳しさに強い問題意識を抱き2020年1月に独立、東京を離れる。現在、山口県萩市の地域おこし協力隊としても活動中。

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