【久保田昌宏さんインタビュー】 秘めた想いを胸にハードな養成課程に挑戦!

【久保田昌宏さんインタビュー】 秘めた想いを胸にハードな養成課程に挑戦!

【第1回 背中を押されて進んだ養成課程の道】

【久保田昌宏さんインタビュー】

公益財団法人日本生産性本部の養成課程を経て2019年11月に中小企業診断士(以下、診断士)の登録を果たし、独立してご活躍されている久保田さん。第1回は、診断士になろうと思った理由、養成課程に進まれた理由についてお話をうかがいます。

屋号の由来は…

――現在はどんなお仕事をされていますか

2020年3月に「みのりコンサルティング」を開業しました。公的機関の窓口業務を中心に、とあるご縁がきっかけで顧問となった企業での経営支援やスポットでの補助金申請支援をしています。コロナ禍により民間企業への営業活動が難しい状況ですが、公的機関からの公募が多いので、開業後もなんとかやっていけています。

――みのりコンサルティングの由来を教えてください

営業力で顧客に「実り」をもたらす、という意味もありますが、実は妻の名前から一文字を取ってつけているのですよ。仕事内容が分かること、カタカナだけの表記はやめてひらがなを入れること、の二つを屋号の条件として考え、この屋号に落ち着きました。

挫折から20年、再び診断士を目指す

――どうして診断士を志したのでしょうか

きっかけは20代の頃にあります。当時、印刷会社の法人営業として、町工場から1部上場企業まで様々な業種の企業に対し、販売促進の企画提案を通じて、ダイレクトメールなどの紙製品を販売していました。そこで販売促進の根底にある経営のことをもっと勉強してお客様に響く提案をしたいと思い、診断士の資格にたどり着きました。

ただ当時は残業もたくさんあり、会食や会合なども多かったので勉強する時間がとれず、受験をあきらめてしまいました。

――診断士に再び目指されたきっかけは何だったのでしょうか

妻の一言が大きかったですね。会社で管理職として組織の運営に関わる業務をする中で、経営に再度興味が出てきました。また、40歳半ばを迎え、若い時から憧れを持っていた診断士として、厳しいけれども独立して自分の裁量で生きていく選択肢もあると思い、妻に相談してみたところ「もう一回挑戦してみたら」と言われました。妻は社会保険労務士や第一種衛生管理者などの試験などに合格しており、試験に挑戦することに対する理解があるため、背中を押してくれたのだと思います。

独立を決意し日本生産性本部の養成課程へ

――なぜ養成課程に進まれたのでしょうか

2017年に4回目の挑戦で1次試験に合格したのですが、その年の8月に診断士として独立しようと決意し会社を辞めているのです。しかしその年の2次試験は不合格でした。次の2018年は、専念すれば合格できるだろうと2次試験専門の受験機関に通い、再び挑戦しましたが不合格でした。そこで不安を感じて、修了すれば確実に資格が取得できる養成課程に進むことに決めました。

どこの養成課程へ進むか調べていた際、先に診断士になった受験生仲間が、「日本生産性本部出身の診断士はみんな優秀だよ」と言っていたのを思い出し、説明会に行きました。カリキュラムが充実していることを知り、ここなら診断士として食べていくための基礎が身につくだろうと確信し、門を叩きました。

――日本生産性本部の養成課程の特徴について教えてください

日本生産性本部は中小企業向けにコンサルティングも行っている組織です。ゆえに講師は、多方面で活躍されている現役のコンサルタントの方が多く、現場で得た経験を交えた講義を通じて、コンサルタントとしての基礎が構築できる場であるのが特徴です。

「経営を丸かじりする」というコンセプトで学ぶ中、アウトプットとなる実習がとても厳しかったことが印象的です。

熊澤 祐喜

熊澤 祐喜 取材の匠メンバー、中小企業診断士

神奈川県横浜市出身。大学卒業後、総合建設会社へ入社。新卒から4年間は工事現場の事務担当として、工事事務所内にて総務、経理、安全環境など幅広い業務をおこなう。その後本社資金部にて債権管理や資金繰りの業務に従事。将来家業を継ぐべく転職し、現在は石油販売会社の経営企画部にて修行中。2020年8月中小企業診断士登録。趣味はテニス、海外ドラマの視聴。

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