【宮田昌尚さんインタビュー】 挑戦することは自分にとっての必然

【宮田昌尚さんインタビュー】 挑戦することは自分にとっての必然

【第2回 中小企業診断士を志したわけ】
過去の記事:第1回

【宮田昌尚さんインタビュー】

難関といえる国家資格に50代から挑戦をするその原点は何だったのでしょうか? 2回目は、診断士試験を志したきっかけと幼少期のご経験についてうかがいました。振り返るとそこには深いつながりがあったようです。

中小企業診断士を志したわけ

――中小企業診断士を取得しようと考えたきっかけは何だったのですか?

最初の試験を受ける前の年に、財務部門に異動をして、会社全体のお金の流れを見る仕事をしました。それまで未経験の業務でしたし、決算数字の見方も正直おぼつかないところでした。そこでせっかくの機会と考えて、簿記の勉強を始め、日商簿記3級と2級を取得しました。

――そこからさらに中小企業診断士の勉強に進んだのですね?

その他に何かないかと調べてみると中小企業診断士の資格のことを知りました。それまでも経営やマーケティングについては、実地で経験する中でそれなりに知識を持っているつもりでしたが、体系立てて学んだことはなかったので、これはいいかなと思いました。

実家の商売を見て育つ

――少し話が変わりますが、熊本ご出身なのですよね?

はい、高校卒業までを過ごしまして、大学から東京です。しかし、今でも心は熊本です(笑)。

実家は商売をしていました。父方が建材・金物店で母方が呉服店でした。どちらも個人商店で、住まいとお店が一体になっていましたので、小さい頃からお店に来てくださるお客様や仕入れ先の卸屋さんがいつも身近な存在でした。

――何年ぐらいご商売を続けてこられたのですか?

はっきりとしたことは言えないのですが、父方でいうと、曾祖父の代から店をやっていて100年位になるようです。実家は、熊本市内から20kmくらい離れた町ですが、駅前通りの商店街があって、その次ぐらいの商店街、といったイメージの場所です。今はすっかり商店街といえない寂しさですが。

私が小学生の時は、住宅の建設現場にセメントなどの資材を配達するのに一緒にトラックに乗って行ったり、年末の集金にもついて行ったりしていた記憶があります。

中小企業診断士とのつながり

――そういった経験は中小企業診断士を志したことと何か関係があるのでしょうか?

よくよく考えるとですが、すごく関係があるように思います。個人商店ではありますが、一つの会社の経営の形を小さい頃から間近で見てきました。親も地域の商工会に出入りしていました。中小企業の方との親近感はずっと感じていたと言っていいかもしれません。

――ご実家はまだお店を続けられているのですか?

実は2016年の熊本地震で店舗が傷んでしまい、親も高齢でしたので、お店をそのまま畳むことになりました。両親が一生かけて守ってきた会社ですので、登記だけでも残して何かしら後につなげることができないかとも考えたのですが、こればっかりは父の選択です。残念な気持ちというより申し訳ない気持ちがあります。ちょうど診断士試験の勉強を始めたころと重なりますので、心のどこかで実家のことは残っていたと思います。

――そういった背景があったのですね。

私が東京の大学に進学するとき、両親は喜んで送り出してくれました。私が店を継いでくれたらという気持ちは当然あったと思います。なので「地域商店街の活性化」や「事業承継」というフレーズには反応してしまうところがあります。田舎の商店街というのが原体験の中に残っているので、地域の活性化に貢献ができる中小企業診断士を目指したのは、当然かもしれません。

宮本 昌明

宮本 昌明 取材の匠メンバー、中小企業診断士

2019年中小企業診断士試験合格。都内文具店勤務。法人営業に9年、営業事務に1年従事。顧客開拓、イベント企画、販促企画、業務改善等、社内外に係る様々な業務を経験。

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