【畑田清文さんインタビュー】変わる勇気をもって合格を勝ち取る

【畑田清文さんインタビュー】変わる勇気をもって合格を勝ち取る

【第2回 通算10年 2次試験6回目(3回目の正直✖️2回転)】 
過去の記事:第1回

【畑田清文さんインタビュー】

2010年に中小企業診断士受験を開始された畑田さんですが、翌年の東日本大震災、2020年のコロナ禍と今振り返ると激動の10年間を受験生として過ごしてこられました。第2回は受験生時代のエピソードと合格につながる転機についてお話しいただきました。

万策尽きて

――10年間の受験生活を今振り返って転機になったことはありますか?

転機は2つありました。1つは、2次試験3回目の時です。合格したという手ごたえがあったのですが、結果落ちてしまっていて、万策尽きたというか、気持ちが折れかけたときがありました。当時は受験勉強もほぼ独学でした。そんな時、受験生同士の勉強会があるから探した方がいいよというお話をいただいて、その勉強会に参加したことが大きかったと思います。

 もう1つは、コロナ禍です。在宅勤務になり、通勤の時間等がなくなり勉強に取り組みやすい環境になったことがあります。当時は来年にはコロナも収束しているだろう、「今年しかチャンスはないだろう」という思いもあって熱量が違っていたと思います。

「診断」と「助言」

――その勉強会で学ばれた具体的なメソッド的な手法はありましたか。

社長の求めるあるべき姿、方向性を明確にして、現状分析(診断)に基づき助言する。その際、素人の社長にもわかるように日本語として平易な言葉で書くことをアドバイスされました。

解答用紙が一枚の報告書になるように、なおかつ素人の社長向けの報告書なのでわかりやすく平易な言葉で書かなければいけない。また社長からヒアリングした問題点や課題を聞いたまま放置せずに必ず解決策を解答に織り込むこともいわれました。

――勉強会だとインプットしながらアウトプットできますね。

それまでは、ビデオを見るような、受け身的・一方向的な勉強方法だったのです。その勉強会は参加型で、メンバーが自分のベスト解答を持ち寄って、そのプロセスや根拠を議論する双方向的な勉強方法でした。2次試験の解答は公表されていませんが、参加者全員で議論したうえでベストの解答を詰めていく。その繰り返しが2次試験の思考の訓練になりました。

自分では気付けない

――勉強会でアウトプットすることによって何か気づかれることはありましたか。

OBの方からは、「畑田は日本語が下手だ」というふうに言われました。日本語として意味が通っていないと結構強烈に手直しをされまして。もう駄目駄目ですね。でも、自分じゃ気が付かないのですよね。自分では何か伝えているつもりなのですけど、人が読んでみてわかるかというのは、厳しいツッコミをいただかないとわからない。

――フィードバックを受けてコツを掴み、コロナで一気に気合が入り合格を勝ち取られたと。

そうですね。2020年の受験はコロナ禍ということもあり、1度自分を振り返って、やるべきことをやろうと思っていました。試験後は結果はともあれ、やり切ったという気持ちは持っていました。

生駒 祐介

生駒 祐介 取材の匠メンバー、中小企業診断士

1977年京都府生まれ、さいたま市在住。関西学院大学文学部英文学科卒業後、小泉成器株式会社に入社。営業担当として大手量販店への生活家電の商品提案、販売計画の立案を行う。営業管理職を経て現在は事業企画を担当。埼玉県中小企業診断協会正会員。日本キャッシュフローコーチ協会会員。趣味は食べ歩きと最新家電や健康法を試すこと。

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