【第1回 仕事をやめる】

多忙を極める仕事、突然の親の介護、波乱万丈な人生を送ってきたY.Tさん。どのように中小企業診断士という資格と出会い、試験を乗り越えたのか。そしてその後の展望は。第1回は、仕事をやめる決意をしたきっかけをお尋ねしました。
20年来のシステム開発経験
――お仕事はシステムエンジニア(以下SE)とのことですが、具体的にどのようなことをされているのですか。
お客様である証券会社や取引所に常駐して、複数のプロジェクトの要件定義から移行までを一気通貫で見ています。
――金融系のSEは多忙なイメージがありますが、いかがですか。
20年ほどこの業界にいますが、とにかくトラブル続きでしたね。入社当初、証券会社のシステム開発に携わった際に、尊敬する先輩社員に出会い、SEとしての礎を築きました。その先輩社員に付いていくようにして取引所のプロジェクトに参画しましたが、いわゆる炎上プロジェクトで、気付けばそのまま16年、先に先輩社員が抜けてもなお、そのプロジェクトを続けていました。
――趣味が登山とありますが、こういった仕事上のストレス発散にもなっているのでしょうか。
そうですね。7~8年前に富士山に登ったときに、体中が筋肉痛になりました。ところが筋肉痛が抜けた後はとても体が軽くなり、これは体にいいぞと思い、それ以来手当たり次第に登るようになりました。今では日本の標高トップ5のうち4か所を制覇し、次は残りの槍ヶ岳に登りたいと思っています。
――すごいですね!その突き詰める姿勢があるから、お客様と長く協業できるんですね。
そんなにすごいことではないですよ(笑)。まぁ性格的に技術寄りのスペシャリストを目指してはいましたね。いつの間にかマネジメントがメインになってしまいましたが。
SE時代の集大成と決意
――そんな中で仕事を辞めることを決意されたとのことですが、理由を教えてください。
長らくトラブルの多いプロジェクトで下積みを続けてきて、その中でなぜうまくいかないのか、自分ならこうリードするのに、といった思いをずっと抱えてきました。その後、自らプロジェクトマネージャーとして指揮をとる立場となり、直近のプロジェクトで自分がベストだと考える方法で推進しました。そして滞りなく完遂できたんです。そこで達成感とともに、ここでやることはもう無いという気持ちになったんです。
――自分の中で、やり切ったというお気持ちになられたんですね。企業内で別の部署への異動という選択肢もあったかと思いますが、なぜ辞めることに踏み切ったのでしょうか。
元々システム開発の中でも、インフラ構築をメインに取り扱っていました。ハードウェアやミドルウェア、運用・性能など非機能系を取りまとめる立場です。クラウドへの移行が進む昨今、こういった役割は減っていくと思うんです。そこで、何か違うことをしなければダメだと思ったからです。
――大きくポジションチェンジしようと思ったんですね。
これで仕事人生が終わるのもつまらないなと漠然とモヤモヤしていて、そこでもう辞めようということになりました。

美宅 光 取材の匠メンバー、中小企業診断士
埼玉県出身・東京都在住。大学卒業後システムインテグレータ事業会社に勤務し、9年間銀行のシステム開発に携わる。その後、よりクライアントに寄り添った提案をしたいという思いが強まり、コンサルティング会社に転職。それにあわせて経営の基礎を学ぶために中小企業診断士の資格取得を目指し、足掛け4年で合格。2022年6月登録。仕事と勉強以外の時間は妻や娘2人と過ごすのが楽しみ。