【第1回 異動人生のなかで磨いてきたスキルとは】

3年間の受験勉強を経て、2次試験は見事1回で合格を果たした永田あゆみさん。終始笑顔で、とても楽しそうにお話をされる姿が印象的でした。第1回は、現在のお仕事と、これまでのキャリアなどについて伺いました。
百貨店の仕事と、中小企業診断士の仕事
――本業は百貨店本部勤務ということですが、現在のお仕事について教えていただけますか。
店舗運営本部、店舗総括部のスタッフです。敢えて簡単に言ってしまうと「店舗と本部の窓口」です。例えば、各店舗からの売上日報を報告用にまとめたり、店舗へ新しくスマホを導入する場合などには、本部側で各種調整業務を行っています。様々な部門にまたがりそうな業務は、現在の部署にくることが多いですね。
――副業は可能なんでしょうか?可能な場合、副業としてされていることがあれば教えてください。
可能です。まだ副業とよべるほどではありませんが、1つは予備校の中小企業診断士講座で模擬試験の問題を作っています。運営管理の販売管理のところです。他は、とある信用金庫さんのビジネスレターに「パーパス経営」についての記事を書かせていただきました。また、実務補習の指導講師の先生からお声掛け頂いて、中小企業の人材育成制度の構築に参画させていただきました。
自分ではない誰かのために磨いた、資料作成スキル
――永田さんは、わかりやすい資料作りのスキルに定評がある、と伺っています。どのようにして身につけてこられたのでしょうか。
本部の商品開発部にいた頃、プライベート・ブランド(以下PB)をはじめとした企画書などの資料を数多く作成する業務をしていました。しかも、その資料のプレゼンは、私ではなく、上司が担っていました。そうなると、自分自身が理解していても、上司が腹落ちしていなければ、プレゼンしづらいわけです。そういった中で、自分ではない誰かが、他の人にプレゼンする資料をわかりやすく、しかも早く作ることができるようになってきました。
――それは全部商品開発に関する内容だったんですか?
いえ、色んな商品開発から、全然関係ないネタまで。時には、他の社員が作った資料をわかりやすくなるように修正して、というケースもありました。また、千葉店別館の館長をしていた頃は、50社以上のテナントの店長会を毎月開催していました。そこでは、109系と言われる20代前半から老舗レストランの60代まで幅広い年齢層の店長に対して、わかりやすい資料を作るための試行錯誤を繰り返していました。そうした、様々なターゲットを想定した資料作りの経験を通して、わかりやすい資料作成のスキルを身につけてこられたのではと思います。
様々な部署で、様々な業務を経験
――これまでのキャリアを具体的に教えていただけますか?
最初は都内大型店舗で3年間、まずは接客ですね。紳士服売り場でした。その後は、紳士フロアのファッションコーディネーターアシスタントとして、店内のディスプレイや演出を担当しました。その後、IFIというファッション経営専門学校に企業派遣で留学をさせていただきました。
IFIから戻ってきて、今度は3年間、婦人服のバイヤーをさせていただきました。その次は、店舗の婦人服の係長を務めた後に、販売促進部に移り、売出計画と媒体の制作やイベント運営などの業務で7年ほどおりました。その後は、先ほどの本部の商品開発部で、PBや自主編集売場を経験しました。その次は別の店舗の別館の館長としてテナント管理。役職でいうと部長です。そちらで改装の計画などを担当しました。そして、私の異動日が別館のリニューアルオープン日で。朝テープカットさせていただいて、その日の午後にスーツケースを持って、関西に異動になりました。
――関西に異動されたんですか、今度は。
はい。今度は関西の小型店でテナント管理の部長を3年。ここでは閉店業務を経験しました。次に関東の店舗へ。それで、2022年の3月に今の部署に異動しました。

本村 公一 取材の匠メンバー、中小企業診断士
長崎県出身、東京都在住。JICA(国際協力機構)で、日本企業の海外展開支援に携わる企業内診断士。名古屋大学大学院国際開発研究科を修了した後、商社、開発コンサルティング会社に勤務。独立後、東南アジアのラオスでカフェレストランを経営。その後、ラオスやバングラデシュで紆余曲折のあと、現職。東京都中小企業診断士協会城北支部、長崎県中小企業診断士協会所属。