【第1回 激務と出産。それでも消えなかった想い】
建設会社のプラントエンジニアリング部門で、技術営業や新規事業企画に従事している安藤さん。山あり谷ありの4年間で合格を勝ち取りました。1回目の今回は、中小企業診断士を志した理由と受験生活前半戦についてうかがいます。
外を知り、抱いた危機感
――なぜ中小企業診断士を志したのですか?
漠然とした将来の不安からです。当時私は新卒で入社して8年目、社内で認められることばかりに目が向いていました。しかし、その頃から学生時代の友人たちの中に、独立する人が出てきました。また、当時の上司が社内外にとても顔が広い方で、しきりに私に発破をかけてくれ、異業種交流会をセッティングしてくださったのです。そこで利害関係のない同世代の方々とフランクに話をし、初めて明確なキャリアビジョンを描いている人たちがいることを知りました。私はこれまで自分のことを真剣に考えていなかったな、このままでいいのかなと、気づかされたのです。
――それは大きな出来事ですね。
やがて自分が会社に依存していることに不安を覚え始めました。私はここにいて何ができるようになったのかな、もし今この会社を出たとしたら私は外で通用するのかな、と。また、会社では経営方針の転換や人事異動などにより求められるものが変わります。すると会社の求め通りに働くだけでは一貫したスキルや専門性は身につかない。そんなことを考えるうちに、何か始めなければという意識が芽生えました。
――そんな時に診断士資格に出会ったのですね?
はい。不安が大きくなりだした頃、新たな上司に出会いました。専門に特化した技術士が多い会社の中で、豊富な知識を持ち、全体を俯瞰して見ながら横断的に動くことができる方でした。この方素晴らしいなと思っていたところ、診断士資格を持っていることを知り、きっと凄い資格なのだと興味を持ちました。
連日の深夜タクシー 過酷だった受験1年目
――勉強を始めた頃について教えてください。
受験を決意した時点では何とか勉強時間が取れそうな状況でした。それで資格学校に通うことにしました。しかし、入学申し込みをした頃から急に忙しくなり、毎晩タクシーで寝に帰るような日々になってしまったのです。実際全く勉強できませんでした。しかしだからといって資格取得も諦めきれません。そこで学習できることは限られるけれど、何とかして試験だけは受けに行こうと決め、隙間時間に勉強を続けました。結果、1年目は3科目に合格することができました。
休むしかなかった2年目
――2年目は出産が重なり、勉強どころではなかったそうですね。
本当に大変でした。私は子供が昼寝をしている時に勉強するつもりでしたが、私の子供は昼寝をしなかったのです。夜も1時間と寝続けてくれず、全く勉強どころではありませんでした。1日の勉強時間は20分も取れるかどうか。ですから、産後にあたった2年目は一旦休み、育児に集中することにしました。そして、ほとんど勉強せずに試験だけ受けに行きました。
――それでも諦めなかったのはなぜですか?
焦りが大きくなっていたからです。2年目の途中から1年間育児休暇を取得したのですが、戻ったときに自分の席が残っているのか、同期がどんどん出世しているのではないか、怖くて仕方がなかったのです。また、「1年も休めるなんていいね」と言われるなど、悔しい思いもありました。ですから休んでいたのではなく、できることはやっていたと言える証が欲しい、そんな気持ちを抱きながら、3年目を迎えました。
湯山 聡 取材の匠メンバー、中小企業診断士
早稲田大学第二文学部卒業。ITコンサルタント、マーケター、商品企画を経て、現在電機メーカーにて新規事業開発を担当。2021年2月、診断士試験に合格。同年11月に中小企業診断士登録、東京都中小企業診断士協会城南支部に所属。2023年5月現在、製造業やデザイン業などの企業診断、創業や商品開発支援等の分野で活動中。自身も事業開発者であることから、経営者と同じ目線での共創がモットー。