【第1回 診断士試験は夏になればやってくる】

自然が大好きな少年のよう。堀井雄平さんに抱いた最初の印象だ。しかし、その温かく優しい笑顔の裏にあったのは多くの葛藤。診断士試験との出会いから、13年かけて射止めた合格までの道のりを余すことなく語っていただいた。第1回は、1次試験に難儀した受験史前期を描く。
苦労した就活経験と中小企業診断士との出会い
「今の会社が好きだから、グループとしてもっと大きくなっていくと嬉しいです」
現在はガス会社の業務部で、支社や部署の業務標準化に取り組む堀井さん。新卒から一貫してエネルギー分野で活躍している。
北海道出身の堀井さんは、幼少期から地元で水質の調査研究をしたり、大学で環境活動コンテストに参加したりと、自然と過ごす時間が長く、就活でもエネルギー業界を志望した。
しかし、当時はまだ売り手市場とはいえない時期。堀井さんも友人たちも「苦い思いをした」と眉を下げた。
そのような中、単発バイトで中小企業診断士の存在を知る。後々調べてみると、経営コンサルティングの国家資格で、取得後に副業をしている人もいるらしい。
「会社ひとつに依存しない働き方も視野に入れた方がよいかもしれないと考え始めていた頃でした」
興味を持つには十分だった。
初めて受験した2013年は「とりあえず受けてみよう」とほぼぶっつけ本番の「記念受験」。
診断士受験戦記の幕開けだ。
これから長い闘いが始まるとは、堀井さん自身も予想していなかったに違いない。
資格ハンター期と“恒例行事”としての診断士試験
初受験を終え、気持ちを新たに通信講座の受講を開始した堀井さん。
一方で、入社2年目に異動した経営企画部での業務はハードそのもの。
仕事のストレスで悶々として勉強に身が入らないまま、あれよあれよと試験日が近づき「仕方ない、記念受験しよう」と、2014年、2度目の診断士受験に臨んだ。
2015年もチャンレジしたが不合格。科目合格もない状況に、堀井さんは苦悶する。
「全科目苦手でした。とにかく基礎力がない。これはまずい…と焦りました」
対策として講じたのは、ほかの資格取得。簿記、販売士、ビジネス法務、さらにガス関係まで…診断士試験や本業に関連する資格試験を片端から受けていく。
気がつけば、3~4年で20もの資格を取得していた。
当時取得した多くの資格について「広い目で見れば役に立ったけれど、診断士試験の基礎力向上にマストではないですね」と堀井さんは苦笑していたが、寄り道も、今の堀井さんの武器となる見事な実績だ。
他資格を勉強している間にも、夏になれば中小企業診断士試験がいつの間にやら目前に。
そうして、受験回数だけが重なっていく年が続いた。
この時期を堀井さんは「恒例行事」と評したが、不思議とやめようとは思わなかったと語る。
「当時は他の資格試験勉強と並行していたこともあり、診断士試験に合格しようという気概で受けていなかったかもしれません。毎年忘れず申し込んでいたことも、今思うと驚きです(笑)」
堀井さんと診断士試験の間には、まだ心の距離があったのだろうか。
結果的に、「恒例化」が継続の鍵になっていたともいえる。
予備校通学の開始。最初の挫折
2017年12月、堀井さんは1つの決断をする。
「通信講座では限界がある。予備校に行こう」
6度目の正直となる合格を目指して、資格の学校TAC(以下、TAC)への通学を開始した。
しかし、仕事の忙しさは変わらず、通学できない日もあった。
気がつくと、講義の内容についていけなくなり、次第に予備校からも足が遠ざかりがちに。
そして2018年8月。結果は2科目合格だった。
今振り返れば準備不足。
予備校での20時間と自宅での10時間。それが毎月の勉強量だった。
そうは言ってもショックは大きい。
「クラスの仲間や講師との親睦は深まっていたからこそ、不合格になった自分が不甲斐なくて…」
堀井さんは予備校を離れることにした。
2019年は、独学でなんとか1科目合格をもぎ取る。
その後、コロナ禍に突入。2020年と2021年は体調不良が重なり、受験機会延長を申請した。
結果、3科目の免除が2022年までとなる。
最初に診断士試験を受験してから8年の月日が流れた。 そして、「恒例行事」を打開することになるターニングポイントが、堀井さんに訪れる。

岡 夏輝 取材の匠メンバー、中小企業診断士
1997年生まれ、東京都出身・在住。早稲田大学文化構想学部卒業後、大手日系コンサルティングファームの戦略部門を経て、総合コンサルティングファームの戦略部門に転職。ビジョン策定や中計策定、新規事業立案のアドバイザリーなどに従事。現在は同グループの経営企画部門に転籍し、自社が実施するM&A案件のPMIフェーズのPMOや子会社管理全般を担当。マイブームは言語化とセンスの勉強。2025年度中小企業診断士登録。
