任天堂がもたらした世界的イノベーションの裏側

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岩本 晃(いわもと あきら)です。5回目の投稿は、大学院時代に「ビジネスモデルの研究」というレポートで採り上げた任天堂について、その抜粋記事を投稿させていただきます。

ちょっと長いですが、ご勘弁を…。

 

【あつ森はメタバースのお手本】

コロナ禍の自粛生活は、多くの企業に苦戦と業績低下を強いるものでした。

そんな中でも、巣ごもり消費を追い風に圧倒的な成功を収めた事例のひとつが、累計出荷本数3100万本を越えたNintendo Switchの「あつまれ どうぶつの森」です。

詳細は長くなるので省きますが、この作品は最近何かと話題の「メタバース」を、直感的に分かりやすく大衆化したもので、アナログネイティブな大人たちにとっても、楽しみながらデジタルシフトしていく訓練に最適です。

 

同社の創業は1889年の明治時代ですが、1970年代までは花札とトランプの会社でした。

そして、2009年にはビジネスウィーク誌が選ぶ世界優良企業の第一位になっています。

京都ローカルの中小企業が、なぜ日本を代表する世界企業へと飛躍できたのか?

今回はそのイノベーションの裏側について、お話したいと思います。

 

【花札メーカーの大博打 ファミリーコンピュータの奇跡】

70年代後半から、任天堂はゲームセンター用の機械を製造するようになり、多くの電子技術者が入社しました。彼らの技術を活用し、汎用ゲーム機として開発されたのがファミリーコンピュータ(ファミコン)です。

 

そのCPUは6502という、アップルⅡに使われたハイスペック製品でした。

ここで山内溥社長(当時)が凄かったのは、14800円という低価格で発売することで、情報機器でなく、おもちゃの市場を開発しようとしたことです。

 

6502は単体でも数十ドルする高価なCPUで、それを内蔵したPCが数千ドルで売られる時代に、その1割以下の価格設定は、ハードとして大赤字でした。

しかしROMのほうは、同社がゲームソフトメーカーに卸すものしか使えないため、ソフトの独占利潤でハードの赤字補填をするビジネスモデルが可能でした。

 

要するに「ハードを安く見せて、ソフトで儲ける」という、キャプティブ価格戦略です。

それでも損益分岐点は350万台と推定されたようで、世界的にも前例がない“花札以上の大博打”に、社内も取引銀行も大反対だったと。

それでも山内社長は「これはワシの会社や、つぶれたらしょうがない」と言って、強引に押し切ったそうですが、社員から見ればまさに“殿、ご乱心!”でしょうね。

結果はご存じのように、ハードだけでも6000万台を超える世界的な大ヒットとなりました。

 

後のビジネス誌インタビューで「成功する自信はあったんですか?」との問いに、「成算があったわけやない、勘や」と述懐しました。

彼はキーボードも打てないアナログ人間でしたが、百年続くおもちゃ屋として、“遊びとは何か”を、誰よりも知っていました。

 

「おもちゃは必需品やない。品質とか性能より、面白いかだけが勝負や」と言い、ウチが高性能ゲーム機に負けるはずがない、と言い切ったそうです。(事実その通りでした)

後に、“子供の世界に国境はない”と確信して、アメリカ法人を設立し、世界に冠たる日本ブランドへと大飛躍を果たすことになります。

 

【枯れた技術の水平思考】

当時の任天堂にはもう一人、横井軍平という伝説のゲーム開発者がいました。

1960年に同社初の大卒社員として採用されましたが、関西の大手電機メーカーからことごとく不採用になり、仕方なく任天堂に就職したようです。

 

ただ、当時の同社はまだ花札メーカーで、電子工学を学んだゲーム好きの横井氏の技術を生かす場は、当初はありませんでした。

それでも花札製造機械のメンテなどをしているうちに、遊びで作ったゲーム作品が小さなヒットとなり、徐々に家庭用ゲーム市場に参入するようになりました。

その特徴は「技術革新」がほとんど見られないことで、ハード自体は極めて簡素な構造である一方、ゲームの中身を売り物としました。

 

横井氏はこれを「枯れた技術の水平思考」と呼びました。

水平志向とは、既存のものを違う角度から捉えなおすことで、大事なのはフレーム転換であって、技術ではないということ。

このDNAは今でも同社に脈々と受け継がれており、高度な技術を駆使した個人向けゲームより、家族との遊びの楽しさや交流を追求した、多数のコンテンツを連発し続けています。

 

【中小の同族企業は、可能性の宝庫かも】

また、当時の産業界全体の流れから、任天堂の成功要因を見ると、これがまた面白い。

この時代の通産省は、第5世代コンピュータに巨額の国費を投じ、大手電機メーカーもスパコンの開発に膨大な資源を投入していました。

 

しかし、両者とも商業的に大きな成果は残せず、利益に貢献することもありませんでした。

80年代に世界を変えたのは、IBM-PCにはじまるパソコンの流れであり、それに匹敵する大ヒットになった日本の情報機器は、ファミコンだけでした。

役所や大手企業が見向きもしなかったニッチ分野に、宝の山があったわけです。

 

このように、当時の任天堂が大成功した背景には、横井氏のような落ちこぼれが、失敗しながらもいろいろと試せる自由があったこと、そして山内氏のような同族企業のカリスマトップがいたこと、という二つの要因があったように思います

株主から常に利益の圧力にさらされる現代の大企業サラリーマン社長では、いい意味でのこうした「牧歌的ガバナンス」は期待できません。

 

任天堂の事例は、明治以来の老舗中小企業でも、経営者の決断力と埋もれた人材を生かす目利き力によって、圧倒的なイノベーションを生み出せることを示しています。