【第1回 技術者が診断士試験を目指した理由】
ワークライフバランスの重要性が叫ばれ、在宅でのリモートワークやサテライトオフィス出社など、場所にとらわれない働き方がすっかり定着した。その一方、自宅から遠く離れた地方での単身赴任生活を続けながら、一年半で中小企業診断士試験の合格に漕ぎつけた人物がいる。その学習スタイルにはどのような困難や工夫があったのだろうか。
今も企業内診断士として現場で汗を流すヒロさん(仮名)が中小企業診断士試験(以下、診断士試験)に挑戦することになったきっかけや単身赴任中の学習生活、定年を目前に控えた今の心境と今後の夢について、穏やかな口調でゆっくりと紡ぎ出してくれた物語を紹介する。
技術者としてのキャリアスタート
高原性の気候は夏もさわやかで過ごしやすいが、冬の冷え込みはひときわ厳しい。ヒロさんは幼少の頃からそうした自然の中で、のびのびと育った。夏は山登り、冬はスキーに親しんだヒロさんは、50代後半となった今でもマラソンにチャレンジするなどアクティブに体を動かす。
「身体の筋肉量が落ちると、集中力の持続時間も短くなるんですよ」
精悍な笑顔でそう語る。大学から大学院までの学生時代を関東地方で過ごしたが、まだ自然豊かな農村文化が息づく地元のご両親の声に導かれるように、卒業後は故郷の大手メーカーにUターン就職。そこで技術者としてのキャリアをスタートさせた。
技術一筋から事業部門への転属、単身赴任へ
ヒロさんは、音声や動画処理の要素技術開発を専門とする技術者として、その後20年以上の実績を研究開発部門で積み重ねた。やがて東京都内へ転勤、家庭を構えたヒロさんに大きなキャリア転機が訪れたのは、40代後半に差し掛かった2013年のことだった。研究開発部門から基幹事業部門への転属、そして東京から直線距離で約200kmも離れた地方拠点への単身赴任だ。
「このまま技術者として専門職を極めるのか、それとも社内異動でキャリアの幅を拡げるのか。会社側がそれを見極める年齢に差し掛かっているなとは感じていました。ただ、もともと現場で仕事をしながら新しいことにチャレンジをすることは好きだったんです」
事業部に移った時期の心境をそう振り返る。
同じ技術開発職ではあったものの、要素技術開発のみに没頭し、自組織の中だけで評価された研究開発部門時代とは異なり、事業部門では会社の経営業績に直結する商品やサービスに直接携わっている実感を肌で感じたという。品質保証部門や販売会社のメンバーとのミーティング機会も増えた。こうして事業部への転属から3年が経過した頃、ヒロさんはある製品ジャンルの担当者として任命された。
空気の澄み切った早朝、その瞬間は訪れた
その地方では当たり前のように厳しく冷え込んだ、いつもと同じある冬の朝だった。ヒロさんは、歩き慣れた会社への道を歩きながら、鏡のように氷の張った池にふと目をやり、その足を止めた。
「事業部門の全体像がまだあまり見えていないな…。少し勉強してみようかな…」
思いがけずそう思ったのだという。しかしその内なる声が聞こえてきたのには理由がある。事業部門では、関連部署の作業進捗は順調なのか、いまどのような課題を抱えているのか、製品ジャンル担当者としてタイムリーにとらえる必要があった。また、チームメンバーとの信頼関係構築も欠かせないと感じていた。当時ヒロさんはすでにマネジメントに関する知識を一通り学んでいたが、さらに視野を拡げ、各部門が取り組む業務や事業部門全体にわたる仕事のプロセスをきちんと把握する必要がある、そう感じ始めていたのである。
大野 秀敏 取材の匠メンバー、中小企業診断士
東京都出身。富士ゼロックス株式会社(現富士フイルムビジネスイノベーション株式会社)入社後、エンタープライズ向け商材の企画から商品開発、ローンチまでのプロジェクトマネジメントを長く担当。海外との共同開発プロジェクトリード経験多数。現在は横浜国立大学特任准教授として、研究成果の社会実装支援や地域との産学共創プロジェクトを通じたアクションリサーチなどに取り組む。東京都中小企業診断士協会所属。