【髙田浩一郎さんインタビュー】諦めなければ成功する!6年かけて掴み取ったセカンドキャリアへの道

【髙田浩一郎さんインタビュー】諦めなければ成功する!6年かけて掴み取ったセカンドキャリアへの道

【第1回 広がる世界】

【髙田浩一郎さんインタビュー】

総合物流企業に30年以上勤務し、2023年に中小企業診断士試験に合格・登録をされた髙田浩一郎さん。第1回では総合物流企業でのあゆみ、そして中小企業診断士を志した想いについてうかがった。

1年前は考えられなかった場所で

「1年前は考えられなかったような場所で、考えられなかったような方々と一緒になって活動できているのが大きいですね。」髙田さんは目を輝かせながら語った。2023年に中小企業診断士試験に合格し、2023年5月に登録。1年で配った名刺の数は400枚以上。地道な活動が実を結び様々な人脈が広がっているという。現在、所属している団体は東京都中小企業診断士協会城南支部、おおた診断士会、経営総研株式会社、独立行政法人中小企業基盤整備機構と多岐にわたる。「人事コンサルタントをやっている方やサプライチェーンの上流に詳しい方とつながりができたり、内臓調整師の知り合いもできたんですよ。今度また一緒に飲み会やろうという話になっています。」人との縁を大切にする髙田さんだからこそ、人脈の輪が広がっていくのかもしれない。充実したセカンドキャリアを語る髙田さんの背景に迫った。

総合物流企業でのあゆみ

髙田さんは総合物流企業に勤めて30年以上。その名を聞くと誰もが知っている大手企業だ。配属当初は語学力を買われ国際旅行の担当となった。業務内容は美術大学の教授やその受講生を対象とする企画旅行の実施。120%の力で取り組んでいたが、実は本当にやりたい仕事は別にあった。「貨物の部署に行きたい」その想いを当時の上司に繰り返しぶつけていた。「これだけ一生懸命やっているので想いを叶えてあげたいと言われ、1年後に航空貨物の方に転籍できました。2年目で業種が変わる異動は極めて異例でした。」当時から決めた目標に向かいまっすぐ努力する姿がうかがえる。

思いが叶って航空貨物担当の部署に異動となってからは様々な経験を積み重ねた。社内の研修制度に手上げしオーストラリアのシドニーに1年勤務。帰国後は国際海運貨物の営業を担当した。その後、大きな転機となったのは「シンガポールへの出向」だ。約700名が所属する支店の総務部長として組織を統括した。「行ったばかりの時は言語の壁はありましたが4、5年経つと一切感じなかったですね。」元々学生時代から英語を勉強されていた髙田さんにとって言語の障壁はそこまで大きくなかったという。「1番は国民性の違い。シンガポールって3日間無断欠勤したら理由を伝えずに解雇できるんです。私もシンガポールの有名大学から折り紙付きで入社してきた部下の方がいたのですが、勤務状況や周囲とのギャップがあり退職を命じることになって。『今日の17時に荷物をまとめてくれ』と言って3,4時間会議室で議論しました。本当に映画の世界みたいでした。」言語も文化も違う異国の地で、特に人と関わる部分で大きな苦労を味わったという。

看板を外しても一人で立てる人になりたい

シンガポールでの多様な経験を経て日本に帰国した髙田さん。52歳になってふと感じたことがあった。「シンガポールに行けたのもそうなんですが、やっぱり会社があるからこそ、いろんなところに行けたと思うんですよ。社名をいうとみんな『ああ!』っていう反応が返ってきますし。だけどそれが外れた時どうなんだろう、って考えますよね。55歳の役職定年っていうのがもう見えていたので、その時にどう身を振るかって考えた時に看板を外しても一人で立てる人になりたい、と強く思いました。」ここから髙田さんのセカンドキャリアへの挑戦が始まった。








田部井可奈子

田部井可奈子 取材の匠メンバー、中小企業診断士
東京都在住。2024年に中小企業診断士試験に合格。現在は製薬企業の営業担当者として勤務しているが、2025年に脱サラし沖縄にて夫婦で宿を開業予定。夢は「東京と沖縄を繋ぐ診断士」になること。10年勤めた医療業界の知識も活かし、多方面で頼りにされる診断士となるべく奮闘中!モットーは「後悔しない人生を歩む」こと。

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