【小山剛史さんインタビュー】20代の決断―若さの壁を中小企業診断士で越える

【小山剛史さんインタビュー】20代の決断―若さの壁を中小企業診断士で越える

【第2回 診断士合格までの3年間の軌跡】
過去の記事:第1回

【小山剛史さんインタビュー】

広告・Webマーケティング業界に勤務し、2025年度に中小企業診断士試験に合格・登録された小山剛史さん。20代という若さで難関資格に挑み、見事合格を勝ち取ったその裏には、地道で粘り強い努力があった。今回は、合格までの3年間の歩みをたどり、特に苦手としていた2次試験・事例Ⅳとの向き合い方を中心に伺った。

独学での挑戦と挫折

「初年度はとにかく事例Ⅳが苦手で…」。小山さんは困ったように笑った。「今思えば根本を理解せず、がむしゃらに過去問を解いていたことが敗因でした」。学習を始めたのは2月。平日は仕事終わりに2時間、週末は8時間以上を確保し、合計約800時間の学習時間を積み上げた。使用したのは、Web講座「スタディング」、過去問演習、そして「ふぞろいな合格答案(同友館)」シリーズ。独学で挑んだ1年目。1次試験は突破したが、2次試験で壁にぶつかった。「独学ではなく、最初から予備校に通っていれば、もっと早く要点を掴めたかもしれません」と後悔をにじませながら当時を振り返る。

資格学校で掴んだ光明

2年目は資格の学校「TAC」の門を叩いた。2年目は1次試験免除のため、勉強時間は約500時間程度。2次試験に集中できる分、心の余裕も生まれた。「予備校で事例Ⅳの全体像が見えました」と語る小山さん。「経営分析、CVP、NPVと順番があって、60点取るためには経営分析で8割狙おう、と戦略的に考えられるようになりました」と1年目のがむしゃらさから一転。全体像を理解し、試験問題の構造を見極め、限られた時間で合格点に届かせる戦略的思考が身についた。模試でもまずまずの成績を収め、「今年こそは」と手応えを感じていた。

絶望とそこからの立ち直り

しかし、この年も2次試験で涙を飲んだ。「また1次試験からやり直しかと思うと、心が折れそうになりました」とその時の気持ちを振り返る小山さん。結果を受け止めるにも時間が必要だったという。それでも歩みを止めなかったのには理由がある。社長に結果を報告すると、「また頑張ればいい」と温かい励ましの言葉をかけてくれた。職場の理解と支援で整えられた学習環境。「頑張らねば」と奮い立った。理由はもう一つ。2次試験の合格率は例年18%前後。裏を返せば、不合格となる確率は約82%。つまり、3回連続で不合格となる確率は、0.82×0.82×0.82≒55%。これを逆に考えると、3年間で1回でも合格できる可能性は45%。「そう考えて、3回目の挑戦には意味がある」と自分を奮い立たせた。ここで諦めるわけにはいかなかった。

3年間の挑戦で掴んだ栄光

3年目、小山さんは再び独学に戻した。仕事やライフイベントが重なる中、500時間の勉強時間をなんとか確保。限られた時間で確実性の高い勉強法を模索した。

「教材は過去問だけに絞り、再現答案とその点数に徹底的に向き合う―これがもっとも確実だと思いました」。インターネットやSNSで90点、80点、60点、50点の答案を見比べ、作問者の意図を読み解く作業に没頭した。求められていることは何かを徹底的に突き詰めた。

その結果、ついに3年目で1次試験・2次試験ともに合格。努力が報われた瞬間だった。

振り返ると「1年目、2年目、3年目の順できつかったです」という。年数とともに経験を重ねることで生まれる心の余裕。延べ1,800時間を費やした3年にわたる挑戦。独学から資格学校、再び独学に戻るという試行錯誤の末に掴んだ中小企業診断士という称号だった。その背景には、着実に前に進み続ける意思と周囲への感謝があった。 第3回では受験生活の振り返りと今後の展望について迫る。








菅田 裕之

菅田 裕之 取材の匠メンバー、中小企業診断士
製造業でエンジニアとして15年以上勤務し、海外工場立上げ、研究から製品化までを一貫して経験。組織統廃合や新組織の立上げをマネージャーとして主導し、新卒採用では100名以上のキャリア支援にも携わる。現在はDX人材育成を担当。マーケティングを駆使し、1,400名以上への研修講師実績を持つ。2025年中小企業診断士登録。愛知県在住。趣味はキャンピングカー製作と山車祭り参加。

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