【松葉修さんインタビュー】父のような個人事業主を支えたい中小企業診断士

【松葉修さんインタビュー】父のような個人事業主を支えたい中小企業診断士

【第1回 原点は家族を支えてくれた酒屋の灯】

総合電機メーカーに勤務し、現在は情報システム部門の組織責任者として自身が所属する組織の改革と活性化を推進している松葉修さん(以下敬称略)。家庭では妻と娘と楽しく過ごしている。第1回目は、中小企業診断士を知ったきっかけから、受験する決意までのお話をうかがった。

きっかけは父が営む酒屋の倒産

その知らせは、あまりにも突然だった。ある日、母から電話がかかってきた。「お店を閉めることにしたから」。それは実家である酒屋の廃業を告げるものだった。当たり前のものがなくなるという寂しさがあった。松葉が中小企業診断士を目指す原点は、まさにこの出来事にある。

店は家族経営だった。父が営み、松葉も幼い頃からその風景の中にいた。年末になると、店名入りのタオルを自転車で配って回るのが恒例行事だった。風が冷たくて、手はかじかんでいたが、「いつもありがとうね」と声をかけてくれる常連さんの笑顔が嬉しく、誇らしい気持ちでペダルをこいだ。「夜に出かけるのが探検みたいで楽しかった」と振り返る。今でもその記憶は鮮明だ。父のすごさを感じた出来事もあった。

家族で料理屋を訪れた際、父が日本酒を一口飲んで「古い」と指摘し、瓶の提示を求めた。店側は否定したが、実際は1年近く前に製造されていて、開封後もかなり時間が経過していた。店主は平謝りだった。酒屋にとって生命線である父の確かな舌と毅然とした姿に強い印象を受けた。

時が流れて、時代は変わった。ディスカウントショップやコンビニが酒類を扱うようになり、小さな酒屋は徐々に追い詰められていった。「大手法人の競争に勝てなかった」と父はそう言って、静かにシャッターを下ろした。サポートの手が届いていれば、違った未来があったのではないかという無念が、松葉の胸に残っていた。

眠っていた夢をふたたび

大学を経て社会人になった松葉は、この出来事をきっかけに、「小規模事業者を支援できる仕事はないか」と探し始めた。調べるうちに「中小企業診断士」と出会った。資格の事を知れば知るほど、心が動いた。父のような人たちを支えるための国家資格であるとわかったとき、「これだ」と直感した。しかしながら、当時は仕事に追われ、行動に移せなかった。

業務では情報システムを活用したプロセス改革を担当し、海外赴任や新規事業の立ち上げにも関わるなど、多忙な日々が続いていた。辛いこともあったが、具体的に誰の役に立っているかを考えることで、モチベーションを維持してきた。中小企業診断士への志は、心の奥にしまわれたままだった。

転機が訪れたのは40代に入ってからである。結婚し、子どもが生まれ、将来的に義父母との同居をみすえて、戸建てを購入した。80歳まで続く住宅ローンを組み、「定年後も働く現実がみえたときに、やっぱり『人の役に立つ仕事がしたい』と思った」と語った。その想いが眠っていた夢を呼び起こした。

知人からもらった「だるま」

松葉は診断士試験への挑戦を決意する。「試験までの道のりは長く、仕事と家庭との両立も簡単ではない」と覚悟した。仲のいい1人2人の同僚は知っていたが、勤務先へは協力してくれることに期待していなかったので、告げなかった。ただ、コロナ禍による在宅勤務が学習の追い風となり、通勤に費やしていた時間をすべて勉強に充てることができた。

松葉にとって、中小企業診断士とは「資格」以上の意味を持つ。父が必死に守ろうとした小さな酒屋。サポートを得られなかったあの現実。「今度は自分が支える立場になりたい」という願いが、今の松葉を突き動かしている。周囲に宣言することはなかったが、内なる決意は確かだった。たまたま、知人からお土産としてだるまをもらった。だるまに目が書いてなかったので、片目だけにそっと筆を入れた。








西田 雄一郎

西田 雄一郎 取材の匠メンバー、中小企業診断士
京都府生まれ。地方国立大学を卒業後、銀行に入行し、法人融資等に従事。その後、大手ITベンチャー企業にて、組織構造を変革するマネージャー職や東海エリアの営業責任者を経験。2025年に屋号「かんさい経営サポート」で開業。同年に経営学修士(MBA)修了。中小企業診断士、ビズクリ認定サポーター、事業承継士として登録。事業承継協会、ケアビジネス研究会、スモールM&A研究会などに所属。

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