【浦野創さんインタビュー】その一歩が、診断士への道になる ~中小企業診断士として歩むまでの物語~

【浦野創さんインタビュー】その一歩が、診断士への道になる ~中小企業診断士として歩むまでの物語~

【第1回 成功の反対は、何もやらないこと】

浦野創さんが中小企業診断士の試験に合格したのは1997年。しかしその後、15年の資格休止期間を経て、2024年に中小企業診断士として独立し今に至る。浦野さんは中小企業診断士という資格とどのように出会い、関わってきたのだろうか。彼の現在の仕事、そして診断士資格との関わりをひとつずつ紐解いていく。

豊富な経験で幅広く支援する

「中小企業は、マーケティングに十分なお金や人を割けないことが多いです。だから、建前や理想論を語るだけでなく、その企業にとって無理がないものを伝えていきたいですね」

浦野さんが独立した中小企業診断士として活動を始めてから、1年が経過した。独立当初はなかなか収入につながる仕事はなかったが、2025年になってから中小企業診断士としての仕事が増えてきている。前職では長くマーケティングの仕事に関わってきた。その強みを生かして、公的支援機関の専門家派遣や専門家相談の仕事を通じて、中小企業の経営を支援している。

「マーケティングって何か一つだけをやって完結することはありません。リアルやデジタルのいろんなことが関わってきます。私はデジタルマーケティングもやっていましたが、リアルマーケティングもやっていました。だから、幅広く支援できていると思います」

中小企業からの相談事は、「どこからどんな弾が飛んでくるかわからない」と彼はいう。豊富なビジネス経験が彼の武器になっているのだ。

自分の武器はどこにある?

浦野さんは、1987年に新聞社に入社し、ビジネス部門で広告営業をしていた。当時は研修らしい研修がほとんどなく、先輩の後について体で仕事を覚えた。仕事は順調にできてはいたが、仕事が高度になり責任も増してくると不安を感じるようになったという。

「広告営業は企業からマーケティング上の課題を聞いて、その解決策を提案するのが主な仕事です。その仕事をやる中で、経営やマーケティングのベースとなる知識がまったくないことが問題だと感じてきました。それと同時に、いわゆるクオーターライフ・クライシス(20代後半から30代半ばの頃に自分の人生や在り方に悩む現象)に直面しました。自分のキャリア、もっというと生き方は、改めて今のままでいいのかと思ってきた。そこで、自分の中に武器が必要だと思ったんです」

そうした状況で、中小企業診断士の資格の存在を知った。自分に足りない幅広いビジネス関連の知識を体系的に学べる資格として、意識するようになった。しかし資格取得のためにはハードな勉強が必要だとも知る。すぐに一歩を踏み出す決心はつかなかった。

海の向こうの挑戦とともに

社内では中小企業診断士の資格はほとんど知られておらず、せっかく苦労して資格を取得しても、自分の評価やキャリアにプラスになるとは思えなかった。そんなある日、ひとりのプロ野球選手の挑戦が浦野さんの心を動かした。

「プロ野球選手の野茂英雄さんという方がいまして、私は野茂選手が大好きでした。同時にメジャーリーグもすごく好きで、雑誌を買ったり現地に見に行ったりもしていたんです。そんな中で、野茂選手がメジャーリーグに挑戦するという話が出てきて。応援したい気持ちはあったけれど、メジャーのレベルの高さを知っていたので、絶対無理だろうなと思っていました。忘れもしないのが、1995年5月のメジャー初登板。テレビ中継を見ながら、『やっぱり一歩踏み出さなきゃだめだ』と強く感じたんです。野茂選手の姿を見て、やらなきゃだめだと思いました。その放送を見たその足で、資格学校に中小企業診断士講座の資料をもらいに行きました」

あの日から今も、変わらない信条がある。

「成功の反対は失敗ではなくて、何もやらないことだ」。

海を越えた野茂選手の挑戦に背中を押され、彼は新たな一歩を踏み出した。








畑山誉

畑山誉 取材の匠メンバー、中小企業診断士
サービスデザインやプロジェクトマネジメントを強みとする中小企業診断士。UXの視点から顧客の体験価値を丁寧に捉えなおし、企業のマーケティング設計や新たな商品・サービスの開発を支援。現場で培った実務経験をもとに、企業に合った方法を一緒に考え、実行まで寄り添う伴走型コンサルティングが特徴。子育てにも奮闘しながら、東京・世田谷区を拠点に地域企業の力になれるよう、日々学び続けている。

拓け!中小企業診断士の扉~受験奮闘編~カテゴリの最新記事