【山田晃裕さんインタビュー】 自分の強みについて模索する中小企業診断士に送る あえて専門分野を作らないという戦略

【山田晃裕さんインタビュー】 自分の強みについて模索する中小企業診断士に送る あえて専門分野を作らないという戦略

【第1回 合格前に退職し,中小企業支援の世界に】

【山田晃裕さんインタビュー】

独立中小企業診断士AKI CONSULTING代表山田晃裕さん。横浜市内の瀟洒なオフィスビルで,スタジアムからかすかに聞こえる応援歌を背にインタビューは始まりました。

依頼が来るところが専門分野

――山田さんは,毎日違う仕事をしているとお聞きしました。混乱しないですか。

支援先訪問、企業研修、事務局業務など毎日複数の異なる業務をしていることがほとんどなので、多少は戸惑うこともあります。でも会社員時代に納期や難度に応じて,個人への業務割り振りを長くやっていた経験があり,それほど苦にはならないです。

――なぜ多様な業務を担当されることになったのですか。

実は私にはコレという専門分野が無く「依頼が来るところが専門分野」と思っています。幸いいろいろなところから声をかけていただけるようになり,結果的に数多くの名刺を持つことになりました。最初は新しい名刺を貰えると嬉しかったですが,今では管理が面倒なだけですよ。

補助金に精通したが…,若手時代の苦い思い出

――各種補助金の申請・審査・事務局で総計500件!以上担当されたとお聞きしました。

中小企業診断士試験に合格する前年の2011年に会社を辞めました。翌年2012年4月から1年間の有期雇用で「(株)さがみはら産業創造センター」に、さらに2013年から「(公財)相模原市産業振興財団」という支援機関で、週3日程度コーディネーターとして勤務していました。だから公的支援や中小企業施策への知識はあると思います。当時のものづくり補助金は,支援機関での業務経験をもとにアドバイスをすると,かなり高確率で採択されました。8割以上採択されていたので「補助金の神」と言われた時代もありました。

でも今は支援先以外の企業に対して,補助金申請を手掛けることはほぼないです。若手が手掛ける際の指導をするか,審査や事務局業務を受けるかぐらいです。今は補助金専門の診断士もいて,レッドオーシャン状態ですね。

――診断士になりたての新人時代はどのように過ごしていたのですか。

元々人見知りで奥手な性格でしたが,積極的にいろいろな団体に顔を出し,週8で飲み会に参加していたこともありました(笑)。結構順調に仕事をいただいたので,当時は常に120%で働いていましたね。ところが無理がたたったのか3年目のとき体に変調を来し,慢性的な睡眠不足や坐骨神経痛にも悩まされて。その後はペースを落として,仕事を選んだところ…仕事が想定以上に減ってしまいました。


打越 大輔 取材の匠メンバー,中小企業診断士

大学卒業後,流通小売業3社で勤務。店舗運営から商品部,人事総務まで幅広く担当。日系企業での国外駐在や外資企業の日本市場における新規店舗開店,会社更生法による店舗閉鎖まで幅広く経験。2012年より海外通販業を創業し,現在も継続中。2019年から中小企業診断士登録し,小売業や創業の経験を活かし,企業支援を行う。

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