【生駒祐介さんインタビュー】あえて「空白」をつくる!考える時間を確保し見事合格、そして更なる飛躍へ

【生駒祐介さんインタビュー】あえて「空白」をつくる!考える時間を確保し見事合格、そして更なる飛躍へ

【第2回 コンサルという仕事に価値を見いだす】
過去の記事:第1回

【生駒祐介さんインタビュー】

苦労の末、2008年度の試験で見事に合格された生駒祐介さんですが、中小企業診断士登録後最初の5年間を終えたところで、診断士活動を休止されました。第2回は、試験合格とその後の診断士活動、休止から再登録にいたるいきさつについておうかがいしました。

「落ち着き」が冷静な対応につながる

――勉強する中でいろいろ気づきを得て迎えた3度目の試験、過去2度と違いはありましたか。

ありましたね。落ち着いていました。試験中にトイレにも行ってましたし(笑)1度目の試験はボロボロだったと思います。全然できませんでした。緊張もあり、何が書いてあるかわからない。覚えているのは、私が苦手な事例Ⅲでしたが、いきなり難しい専門用語がバーンと出てきて、そこでフリーズしてしまいました。今思えば全然大した問題ではなかったですが、そういうものがいきなり出てきたことで訳がわからなくなったことが、思い出せる失敗談です。

――見たことがない言葉が出てくると、固まってしまうことありますよね。

そうですね。失敗を経験して試験にも慣れてきて。落ち着いていると冷静に対応できました。そこが大きな違いかと思います。

合格が「ゴール」に

――苦労して試験に合格されましたが、合格後の活動状況はどのようなものでしたか。

当時は愛知県に住んでいました。今では信じられないですが、実務補習は締切や受講待ちなどなく、口述試験に合格したらすぐに実務補習に入ってくださいと言われました。自然な流れで2月に実務補習を受け、そのまま愛知県の診断協会に入会しました。そこからはほとんど何もしていないです。そこで満足しちゃって。

――副業ができなかったからとか、そういった理由はなかったですか。

副業ができるという発想すらなかったですし、そういうことをしている人もいなかったですね、当時は。活動らしい活動は、1度だけ愛知県協会の無料相談会でケーキ屋のコンサルティングをやらせていただいたくらいです。その時は報酬もなく、経験だけのような形でした。その後福岡県に転勤になり、福岡県の診断協会に入会しましたが、本業の仕事が忙しく、結局何もしないまま5年間の期限を迎えることになりました。

1冊の本が、人生を変える転機になる

――活動休止状態から、再び活動を始めようと思ったのはなぜですか。

2019年のゴールデンウィークに「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」という本を読んだのがきっかけです。人生100年時代と言われているものですが、その中に「変身資産」という言葉が出てきまして、キャリアを60歳でリタイアではなく一生変形し続ける、という概念に触れました。この時「なるほど」と思いました。自分に何ができるのだろうと考えたとき、「そう言えば資格があったな」ということを思い出しました。

コンサルティングという仕事は、将来AIに代替されにくいですし、歳をとって身体が動かなくてもできる仕事、年齢に価値がつく仕事であり、もう一度中小企業診断士の資格を活かした方がいいなと思い、再登録しようと決めました。

――そこから、再登録までどういう手続きを踏まれたのでしょう。

どうすれば再登録できるか、全部調べました。再登録するにはもう1度更新ポイントを取得する必要があり、理論政策更新研修も5回受けなければなりません。その時はまだ福岡に住んでいましたが、航空会社のプラチナ会員を目指していまして、東京に2回行ったり日帰りで名古屋に飛んだりと、趣味と実益を兼ねて1年間で理論政策更新研修を終えました。そして2020年、無事に再登録することができました。経済産業省にも行きまして、担当者に「どうすれば再登録できるのですか」とおうかがいして、丁寧に教えていただきました。非常にありがたかったです。




濵田 健嗣

濵田 健嗣 取材の匠メンバー、中小企業診断士
1974年香川県生まれ、東京育ち。大学卒業後、電鉄会社に入社。長年にわたり経理業務に従事し、その後不動産開発部門を経て、現在は系列のショッピングセンターにてES・CS施策企画を担当。開発部門時代に再開発事業に携わった際、地権者や周辺の利害関係者との調整など、まちづくりに関わったことが中小企業診断士を目指すきっかけとなる。2021年11月に中小企業診断士登録、埼玉県診断士協会所属。

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