【第1回 紆余曲折があったからこその「気づき」】

今回インタビューした生駒祐介さんは、今から14年前の2008年度試験で合格され、2009年に中小企業診断士として登録をされています。一旦業務休止をされた期間がありましたが、再登録後は積極的に活動されています。第1回は、受験をした経緯や当時の受験環境、そして合格にいたるいきさつについておうかがいしました。
「日本版MBA」に惹かれて
――現在のお仕事について教えてください。
商社に勤務し、海外ブランドの家電製品を扱っています。外資系メーカーの日本法人を相手に、国内の量販店に流通させるため、仕入れや価格交渉をしたり、プロモーションの提案をしたりしています。扱う製品は美容家電と呼ばれるジャンルのものが多いです。
――試験を受験されたきっかけを教えてください。
勉強を始めたのは2005年ですので、今から17年くらい前です。その当時は、今と違って中小企業診断士の知名度も高くなかったのかなと思いますが、自分では自己啓発の意識が強かったです。大学時代の友人と一緒に勉強を始めました。「日本版MBA」と言われ、「それならやってみよう」という感じでした。
スマホもタブレットもなかった
――当時は、どのような受験環境でしたか。
今はタブレットやスマートフォンがあってものすごく便利だなと思いますが、当時はなかったですし、動画教材もなかったです。情報もあふれているくらい多いと感じますが、そんな環境では全然なかったですね。当時通っていた予備校で仲良くなった方と勉強会のようなことを何度かやりましたが、定着はしませんでした。勉強会のしくみ自体が存在していなかったですし、場の強制力のようなものもありませんでした。模擬試験を受けた時にお互いの答案に意見を言う程度のことしかやっていません。
――3度目の2次試験で合格されますが、合格するまで2度の2次試験を経て、つかんだものはありましたか。
試験問題の表紙に「診断と助言」と書いてあり、「両方ないとダメなんだ」ということに気づけた点です。診断がいわゆるSWOT分析とか現状を問われている部分であり、助言が自分なりに与えられた情報の中で提案するという部分、「診断と助言がセットになっていれば合格できるんだな」ということに気づきました。合格答案は答案だけ見たら大体話がわかるという、そういう状態になっているものだと理解できたのが大きかったと思います。あと、設問の構造も答案を読めばわかるように体系立てて組み立てられており、そのつながりが理解できれば、わかりやすい解答になるということにも気づけたことも大きかったです。
独学に切り替え、課題に追われる日々を回避
――そこに気づくことができたのはいつ頃ですか。
3度目の2次試験を受ける年の3カ月から4カ月前くらいです。この年はほぼ独学で勉強していましたが、そのおかげで一息つく時間がとれました。予備校へ通っていた時は目先の課題をやることで精一杯でした。落ち着いて考える時間もなかったですし、ただがむしゃらにやっていたというか、こなしていただけでした。独学に切り替えて、課題に追われることがなくなったこともよかったと思います。
――「急がば回れ」ではないですが、気づけたのは大きいですよね。
失敗したからこそ気づいたことに価値があるのかなと思います。いきなり「診断と助言」と言われても全然響かなかったと思います。合格した年は、勉強していて気づいたことをメモしていました。過去問を解いて、合格答案や再現答案を見て「こういうことを書けるな」ということをメモして、その蓄積のおかげで気づくことができたと思っています。いろいろ紆余曲折があった末に、そういった境地にたどり着いたのが大きかったですね。

濵田 健嗣 取材の匠メンバー、中小企業診断士
1974年香川県生まれ、東京育ち。大学卒業後、電鉄会社に入社。長年にわたり経理業務に従事し、その後不動産開発部門を経て、現在は系列のショッピングセンターにてES・CS施策企画を担当。開発部門時代に再開発事業に携わった際、地権者や周辺の利害関係者との調整など、まちづくりに関わったことが中小企業診断士を目指すきっかけとなる。2021年11月に中小企業診断士登録、埼玉県診断士協会所属。