【原田 英明さんインタビュー】分析と戦略で2次試験300点、ハードな仕事もこなし、成長し続ける企業内診断士。

【原田 英明さんインタビュー】分析と戦略で2次試験300点、ハードな仕事もこなし、成長し続ける企業内診断士。

【第2回 紆余曲折、多様な業務で気づいた仕事の「好き」】
過去の記事:第1回

「大きな仕事がしたい」と大手インフラ会社に入社。外部研修で出会った友人をきっかけに中小企業診断士を目指し、高得点で2次試験を突破した原田英明さん。2021年12月に中小企業診断士登録をし、現在は社内で新規事業立ち上げの業務をこなしつつ、中小企業診断士としてもアクティブに活動しています。第2回では、会社員の職歴や、中小企業診断士につながる気づきについてお話をうかがいました。

「大きな仕事がしたい。」希望を胸に入社後、研修やタイ駐在を経験。

――大学卒業後は大手インフラ会社にお勤めですが、会社を決めた理由は何ですか。

高校生の頃、漠然と「大きな仕事がしたい」と思っていました。ちょうどエネルギー資源の授業があり、山を削る露天掘りなどを見て、エネルギーは大きな仕事だと興味を持ち、大学でエネルギー関連の学部を選択して今の会社に決めました。エネルギーは生活に必要不可欠なので、潰れないだろうと、保守的な理由もあります(笑)。

――タイ駐在という異色の勤務経歴もありますね。どんな経緯でタイへ行かれたのですか?

先輩に続き京都大学経営大学院主催「アジアビジネスリーダー育成プロジェクト」の企業派遣研修に参加しました。半年は東京の分校で全日の研修、その後希望するアジアの各国でインターンを半年。急成長しているタイのエネルギー企業にインターンに行ったのですが、希望部署への配属許可がおりず、日本人が1人もいない、都心から離れたガス管補修点検を行う部署に配属されました。研修終了後にそのまま1年間、タイ駐在勤務になりました。

――タイでの生活で大変だったことは何ですか。

やはり健康面の問題が大きかったですね。水質のせいでよくお腹を壊しました。帯状疱疹になった時は現地の医者が英語名を知らず、虫刺されと誤診されたことも。また、基本的な英会話は問題無かったのですが、タイ語で話す本音の部分は理解できませんでした。他にもカルチャーショックが色々ありましたが、多くを受け入れた結果、器が大きくなったと思っています。

初めての事業設立と清算で気づいたこと

――タイ駐在勤務から今度は他のインフラ会社へ出向に。どんな経緯だったのですか。

タイから戻った頃、社内で新しいサービスの事業がスタートし、その販売営業で良い成績を出しました。それが認められ、他のインフラ会社との合弁会社に異動になり、社外の人と一緒に、そのサービスをビジネスとして推進していく業務を体験しました。

――ただ、その後、会社の清算も経験。印象に残っている事はありますか。

資源価格の高騰が長引き、会社の継続が危ぶまれたため一度清算することに。それまで契約していた取引先の会社を1社ずつ訪問し、サービスの終了を謝罪しつつ終了の説明に回りました。「大変だね」と理解をしてくださる会社もあれば、「どうしてくれる、中小企業診断士なら何とかしろ」と怒られるケースも多くて。体調の異変もあり、精神的にも大変な時期でした。

――社外の多様な人達と関わりながら様々な業務を体験し、どんな気づきがありましたか。

今は、太陽光発電に関わる新規事業の仕事をしていますが、今までの経験の中で、自分の「好きな仕事」に気づきました。文化や価値観の違う人達と積極的に関わり合うこと、「0から1」と新しいものを創っていくことに、非常にやりがいを感じています。また、会社の清算を経験し、今後自分が中小企業を支援する時には、絶対にそうならないようにしたいという強い思いも生まれました。




永田 あゆみ

永田 あゆみ 取材の匠メンバー、中小企業診断士
東京都在住。大学卒業後、百貨店に入社。接客、バイヤー、店頭演出(VMD)、販売促進、商品・売場開発、テナント管理マネージャー等を歴任。店頭で売上拡大のアドバイスをきっかけに中小企業診断士を目指し、3年間の受験期間を経て、2022年10月に中小企業診断士登録。(一社)東京都中小企業診断士協会中央支部に所属し現在5つの研究会で勉強中。趣味はシュノーケル、御朱印巡り、パン屋開拓、ホットヨガ、釣り等。

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