【佐藤宗一さんインタビュー】ブランクを超えて、今~スタート地点に立つ

【佐藤宗一さんインタビュー】ブランクを超えて、今~スタート地点に立つ

【第2回 きっかけは新潟県燕三条で】
過去の記事:第1回

【佐藤宗一さんインタビュー】

佐藤宗一さんは、旧制度時代の2000年に資格を取り、長らくブランクがあった金融機関出身の中小企業診断士です。前回は活動を再開した理由と、当時の勉強方法をお聞きしました。今回は、今ほど中小企業診断士がメジャーではなかった時代に資格取得を目指した理由をお聞きします。

すり減っていく感覚に

――中小企業診断士の資格を取った頃のお仕事の状況はどんなでしたか?

当時は支店で法人営業を担当していました。営業は、プロダクトアウトというんでしょうか、銀行の商品を買ってください、というような営業が中心でした。キャリアを重ねていくうちに、そうじゃないよね、お客様の実態に合わせて提案していくのが本筋だよね、って気持ちになって、そういう営業をやりたいと思っていました。

――銀行の営業はとても忙しそうです

割と厳しい営業目標があって、それに対して毎日やっていると自分がすり減っていく感覚がありました。新しい知識を入れてスキルをあげていかないと自分自身が今後のキャリアで充実した人生が送れないぞって、思っていました。

燕三条の元気な中小企業との出会い

――そんな忙しいなかで、そういうことを思われたきっかけって何かあったのですか?

中小企業診断士の資格を取る前、新潟に赴任して燕三条のエリアを担当していました。燕三条は、1ドル360円時代には洋食器の産地として栄えていましたが、その後の円高により一時競争力を失いました。しかし、そこから盛り返してその頃はずいぶんと元気な会社が多かったです。バイタリティのあるお客様が多くて、とても刺激を受けました。

――どんな刺激を受けたのでしょうか?

逆境を乗り越えて、広い土地を活かして大規模な物流倉庫を作ったり、いち早く海外に現地工場を作ったりしていました。そうした取引先の製造業の工場見学をさせてもらい、財務面だけではわからない、その会社の強み、弱みを理解できました。中小企業の社長の方たちとも大変仲良くしていただき、当時30代前半の若者だった自分に、訪問する都度、会社のことを熱く話してくれました。今でも、あの地域にはとても愛着があります。

――そうした出会いがあってスキルアップの必要性を感じたんですね

当時の私では、知識も中途半端で社長の想いを汲み取りきれず、十分に応えられていなかったのだろうと思います。もったいないことをしました。それでも、銀行という目だけではなく、お客様を通していろんな見方を教わりました。すり減っていた気持ちがスキルアップへと向かっていったのだと思います。

資格取得を目指す

――そのあと東京に戻ったんですね

三多摩地区の小規模企業や個人中心の支店に異動になりました。もう一度燕三条で担当したようなダイナミックな企業を担当したかったので、知識を深めておきたいというのが、中小企業診断士の資格を取ろうと思ったきっかけでもありました。資格を取って、会社に認めさせてやるというのも、モチベーションのひとつだったように思います。けれど、結局それは叶わず、ほどなく管理業務を担当するようになりました。

――管理部門でも中小企業診断士の知識は役立ったのでは

幅広い中小企業診断士の知識を生かして、単なる事務手続き以上のサービス・提案を心がけました。社内の労務管理でも、後に取った社会保険労務士の資格とともに中小企業診断士の勉強で得た知識は役に立ちました。回り道をしたようでも、それらは今につながっています。

――燕三条での経験が中小企業診断士としての原点だったんですね

お客様のことを理解しながら、こちらのもっている知識で提案、支援をしていくということです。新潟の方は、最初はとっつきにくいし年配の方の言葉も難しかったのですが、打ち解けるとすごく受け入れてくれました。若い時期に、そうした地域で企業と直接かかわることができてよかったと思います。



大野千佳

大野千佳 取材の匠メンバー、中小企業診断士
神奈川県在住 横浜国立大学教育学部卒業 2022年中小企業診断士登録 公共文化施設での事業企画制作の後、公益法人本部で財務会計に従事。公共施設運営、公益法人会計・運営、指定管理者制度、研修企画を得意とし、ファシリテーションによる事業計画作成や、持続可能な公共施設の経営モデルを研究している。今後はアーティスト支援もしていく予定。神奈川県中小企業診断協会所属。

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