【浦野創さんインタビュー】その一歩が、診断士への道になる ~中小企業診断士として歩むまでの物語~

【浦野創さんインタビュー】その一歩が、診断士への道になる ~中小企業診断士として歩むまでの物語~

【第2回 学び、離れ、そしてまた歩き出す】
過去の記事:第1回

浦野創さんが中小企業診断士の試験に合格したのは1997年。しかしその後、15年の資格休止期間を経て、2024年に中小企業診断士として独立し今に至る。浦野さんは中小企業診断士という資格とどのように出会い、関わってきたのだろうか。第2回は、合格に至るまでの勉強法、そして資格から一時的に離れることになった背景を振り返る。

モチベーションを高める勉強法

1997年の試験制度は、現在のものとは異なっているが、1次試験と2次試験があるという流れは変わらない。浦野さんにとってすべての科目が初めて勉強する分野だったが、その中でも財務分野に面白さを見いだした。

「私は簿記すらやったことがなかったんですが、初めて簿記をやってみたらとても面白かったんです。複雑な仕訳をして、損益計算書(PL)を作って、最後につじつまが合うことが快感で。資格学校に通っていたんですが、受講生全員が受ける統一模試でも財務の点数が高くて、それがさらなるモチベーションになりました」

一方で、労務分野にはどうにもなじめなかった。面白く思えず、勉強にも身が入らなかった。しかし、嫌でも覚えるしかない。地道な勉強とモチベーション維持の工夫で乗り切ったという。

「大学受験の時のように単語カードを使ったり、メモ用紙に何度も重要語句を書いたりして暗記しました。しかし、苦手な科目ばかりやっていると集中力が続きません。苦手な科目を30分くらいやったら別の科目を少しやって、また苦手な科目に戻るというように、うまく切り替えながら煮詰まらないように勉強していました」

短期集中型で乗り切った

当時は、浦野さんの家は子どもが生まれたばかりだった。使える時間は限られていたが、家族のサポートを受けながら、短期集中型で勉強を進めた。

「2次試験は、提示された中小企業施策について200字や400字で記述し説明する形式でした。だから暗記に徹するしかないと思い、『これが出たらこう書く』というパターンを何十個も作りました。1次試験から2、3か月しかありませんでしたが、土日は朝から晩まで勉強していました。家族には『この期間だけだから』といって許してもらいましたが、もし落ちていたら、それ以降は許してもらえなかったでしょうね」

こうして浦野さんは、なんとか合格をつかみ取り、中小企業診断士として登録も果たした。ところが、2004年からアメリカへの駐在が始まる。2年後には資格の更新が難しくなり、やむを得ず休止の手続きを取ることになった。

資格休止と次なる現役への決意

診断士資格の更新のためには、理論政策研修修了などによる専門知識補充要件と、実務要件を満たさなくてはならない。しかし、海外にいる状況でそれらの要件を達成するのは物理的に難しく、資格休止は避けられなかった。

その後、日本に帰国したが、すぐに資格の再開はできていなかった。だが、休止期間を過ごしながらも、「将来は必ず再開したい」という思いを持っていた。

「資格を取得した時は漠然としか思っていませんでしたが、いずれ独立した中小企業診断士になりたいと思うようになりました。会社は60歳や65歳で定年になりますが、その後の人生は結構長い。会社の先輩で定年された方を見ていると、生き生きとしていない方も多いように見えました。一方で、中小企業診断士の知り合いは75歳や80歳でも、とても元気でエネルギッシュ。現役か、引退かで、こうも人は違うのかと思って。60歳や65歳以降になっても自分の責任を持った仕事をやるためには、独立して中小企業診断士として進むべきだと50歳前後で考えました」

そして、浦野さんは60歳で会社を定年退職し、法人を設立して独立した中小企業診断士としての活動を始めた。自身の名字「浦野」をもとに英語風の響きで名付けた株式会社ベイフィールドが、彼の新たな現役の舞台となる。








畑山誉

畑山誉 取材の匠メンバー、中小企業診断士
サービスデザインやプロジェクトマネジメントを強みとする中小企業診断士。UXの視点から顧客の体験価値を丁寧に捉えなおし、企業のマーケティング設計や新たな商品・サービスの開発を支援。現場で培った実務経験をもとに、企業に合った方法を一緒に考え、実行まで寄り添う伴走型コンサルティングが特徴。子育てにも奮闘しながら、東京・世田谷区を拠点に地域企業の力になれるよう、日々学び続けている。

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