【野原悟さんインタビュー】10年かけて手に入れた合格。常に誰かを支える中小企業診断士になりたい。

【野原悟さんインタビュー】10年かけて手に入れた合格。常に誰かを支える中小企業診断士になりたい。

【第1回】きっかけは同窓会の衝撃

【野原悟さんインタビュー】

「多年度生」。診断士業界では合格までに複数回の試験を経験した方のことをそう呼びますが、(失礼を承知ながら)言わせていただくと、野原さんはいわゆる「超多年度生」。約10年間、2次試験は実に7回経験したのちに合格を手にされています。受験期間を経て、見えてきたものとは?勉強を始めたきっかけから今に至るまで、詳しく話を聞いてみました。

企業内診断士としての野原さん

――現在の職業と、これまでの経歴を教えてください。

理系の大学を出た後に半導体を扱う会社に入社し、今も勤務しています。もともと、技術系で入社したのですが、その後営業に配属されました。セールスエンジニアというか、営業技術みたいな感じですね。具体的には、アメリカから半導体の装置を輸入して、国内に販売する。販売先の技術のサポートをするようなお仕事ですね。

――いわゆる「コンサル営業」のようなイメージでしょうか?

そうですね。提案営業やソリューション営業とも言えるのではないかと思います。大手の電機メーカーや、大学関係が営業の得意先にあたります。また、学会などにも参加して商品を展示したり、セミナーを開催したりしています。

――かなり専門的な知識を必要とされる業界でお仕事をされていると感じましたが、なぜ中小企業診断士の試験を受けようと決意されたのですか?

もともと、ビジネススキルを上げたいという思いがありました。さらに言うと「自分の力だけで生きていけるスキルを身に付けたい」という気持ちがあり、いわゆるポータブルスキルを身に付けるために中小企業診断士の資格を目指しました。

いつの間にか友達の多くが経営者に

――では、スキルアップのために受験を決意されたんですね。

きっかけはもう一つあります。ある日、同窓会に参加したときのことです。友達で既に経営者になっている人が多かったんです。そこでいろいろな話をするんですけど、多くが経営に関する話で。組織の話とか、人の扱い方とか、節税をどうするかなど。そういった話に私は全然ついていけなかったんです。それがかなりショックで、「今まで何をしていたんだ俺は……」という気持ちになりました。取り残された感じというか。「経営者と対等に話すにはこの資格しかない」という気持ちもありました。これも大きなきっかけの一つですね。

――お友達に触発されて経営にも興味を持ちだした、ということですね。

そうですね。やっぱり、話に全くついていけなかったというのが本当にショックで。自分の経験不足、勉強不足を痛感しましたね。

10年の道のりのはじまり

――そこで勉強を開始したんですね。時期としてはいつごろになりますか?

2011年が初めての受験です。その年の1次試験は合格しましたが、2次試験が不合格。続く2012年の2次試験も不合格となり、再度1次試験からの受験となりました。それが2013年になるのですが、その年の1次試験科目の「経済学」が非常に難しくて。全体の合格者も極端に少なく「経済恐慌」とまで呼ばれた、厳しい年でした。そこで、経済学で足切りとなってしまったんです。もともと、予備校の模試では経済学は得意でしたが、とにかく難しかったですね。それ以外の科目はいくつか合格して、いわゆる「科目合格」の状態だったのですが、そこから全く勉強しなくなって。結局、一度中断したような形になりましたね。



石垣 健司

石垣 健司 取材の匠メンバー、中小企業診断士
1978年兵庫県生まれ、大阪府在住。2023年1月度に診断士登録。大学卒業後、小売企業に就職し、現在まで勤務。店舗オペレーション、サプライチェーンマネジメントに関わる業務に従事。趣味は読書。座右の銘は「人間万事塞翁が馬」。

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