【仲谷陽介さんインタビュー】危機感から始めた受験勉強、乗り越えたら視座が高くなり世界観が飛躍的に広がった!

【仲谷陽介さんインタビュー】危機感から始めた受験勉強、乗り越えたら視座が高くなり世界観が飛躍的に広がった!

【第2回 多年度受験の壁は1次試験、自分の人生のためにチャレンジを続けた】
過去の記事:第1回

【仲谷陽介さんインタビュー】

急に経理部のトップとなってしまった仲谷さん。銀行に太刀打ちできる力を身に付けるため、中小企業診断士資格へのチャレンジが始まりました。第2回目は仲谷さんの受験生時代について、お話をうかがいました。

多年度の壁は1次試験、受験校に通うこと5年間

――中小企業診断士の受験勉強はどんな風にされていたのでしょうか

中小企業診断士の受験を始めたのはリーマンショックの頃で、プライベートでは結婚したばかりでした。1回目の受験は独学でした。そこで僕には独学は無理とわかったので、2回目からは地元のTAC姫路校で勉強しました。僕にとっては1次試験が大きな壁で、結局TACに5年も通うことになりました。

――新婚生活と中小企業診断士の勉強を同時にスタートされたのですね

TACの講義は土曜日だけですが、早起きして家で朝1時間、終業後にTACの自習室で1時間、夜、家に帰ってきてから1時間と、だいたい3時間ほど毎日勉強していました。新婚なのに僕はずっと中小企業診断士の勉強ばかりしていたので、嫁さんには本当、迷惑かけたと思っています。

――1次試験クリアになかなか苦労されたとか

1次試験は独学時代から通算で5回受験しました。毎回、何かの爆弾科目に当たっていたような気がします。経営法務や情報システムがやたら難しかった記憶がありますね。得意な財務・会計を得点源にしようとした年もあるのですが、そんな時に限って難化して失敗するんですよ。ずば抜けて点の取れる科目もなかったので、いつも惜しいところでクリアできない状態が続いていました。時間をかけたら何とかなるという昔ながらの考えでやっていたのがよくなかったんでしょうね。もう少しテクニックや効率のいい方法を取り入れるべきだったと思います。

自分の人生は自分で意思決定したい

――何年も不合格が続いたのに、試験自体を諦めなかったのはなぜですか?

一つは、ここまで年月をかけて勉強してきたので、「あとちょっとで合格できそうなのに…」と諦めきれなかったことですね。もう一つは、僕には「自分の人生は自分で意思決定したい」という強い想いがあったからです。今でこそ新卒採用は売手市場と言われていますが、失われた20年、就職氷河期だった僕らの頃は会社の方が強かった。そんな中で、自分がやりたいことを自分で選べない残念な人達を沢山見てきました。そこで「自分の人生は自分で意思決定する」ためには、何かしら「力」を付ける必要がある、と考えていました。その「力」の一つが僕の中では、中小企業診断士の資格だったのです。

――1次試験より2次試験が難しいと言われますが、2試験は2回でクリアされたそうですね

合格した2013年は2次試験だけに集中しました。その年には、嫁さんとスーパーに買い物に行った時にも、目の前の状況を事例の与件文に置き換えるという癖がついていましたね。これはこういう効果を狙ってこういう見せ方をしているんだな…という感じで。2次試験の試験勉強と日常がリンクしていましたね。

――それが2次試験突破の秘訣だったのですね!合格はどなたに一番に報告されましたか?

それはやっぱり嫁さんですね。今でもハッキリ覚えていますが、会社のパソコンで発表を見ました。合格したことを嫁さんに携帯メールで伝えると「良かったね」と短い返信がきましたね。結婚した当初からですから、嫁さんにとっても長い受験生活だったと思います。 ただ、この長い受験生活を過ごしたおかげで、夜型から朝型人間に変われたことは、思わぬ副産物でした。今は受験時代に勉強に使っていた朝の1時間を、診断士活動の補助金を書く仕事などに充てています。朝は頭がスッキリしているので生産性がめちゃめちゃ高いですよ。趣味のトレーニングの時間に使うこともあります。




三宅 裕子

三宅 裕子 取材の匠メンバー、中小企業診断士
岡山県在住。学生服メーカーに勤務する企業内診断士。商品開発業務を経て現在はVMD(ビジュアルマーチャンダイジング)を軸に店作りを始めとしたアドバイスなど全国の販売店支援を行っている。年間出張日数は150日。 2022年1月に個人事業主を開業しパラレルキャリアをスタート。1級販売士、VMDインストラクター、カラーコーディネイター(色彩検定1級・UC級)、繊維製品品質管理士、SDGsカタリスト。

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