【中村友一さんインタビュー】人生の転機となった診断士資格~意志あるところに道はある~

【中村友一さんインタビュー】人生の転機となった診断士資格~意志あるところに道はある~

【第1回 延長線上にはない未来に向かって】

【中村友一さんインタビュー】

勤めていた銀行の教育制度がきっかけとなって、中小企業診断士を目指した中村友一さん。第1回では、10年前の当時を思い出しながら、新たな一歩を踏み出した時の想いをうかがいました。

50歳でのチャレンジ

――始めに、中小企業診断士を目指そうとしたきっかけを教えていただけますか?

試験を受ける前から、中小企業診断士の資格があるということは知っていました。ただ、すごく試験が難しいということも聞いていました。当初は、自分には合格するのは無理だろうなと思っていたのです。転機は、ちょうど50歳になる手前ぐらいでした。正直言いますと、当時は、営業店勤務でこのまま定年までずっと同じように働いているのかなというモヤモヤしたものがあり、少し目先を変えたいなという想いが日々募っていました。

ちょうどその頃、勤めていた銀行で、中小企業診断士のチャレンジ制度という教育制度が創設されました。ただ、チャレンジ制度ということもあって、若手向けの人材育成制度という色合いが強く、正直、50歳ではもう遅いかなと思っていました。ですが、思い切ってその時の上司に相談してみたら、チャレンジ制度に応募するのはいいよと承諾してくれたのです。さらに、人事の方にも話をしてくれまして、最終的には、そのチャレンジ制度には私を含む2名が採用されました。

――目指したきっかけとしては、少し目先を変えたかったということですかね。定年退職後を見据えてということでしょうか?

正直、そこまで考えていなかったのですが、スキルアップすることで何かが変わるかもしれないというところでしょうか。

プレッシャーを乗り越えて

――チャレンジ制度という銀行からのサポートもありましたが、実際の試験準備はどのように取り組まれていましたか?

まずは、1次試験までの4月から8月までは、仕事から離れて勉強に特化していいよと。時間的にもまるまる試験に集中していいと、給料もちゃんとくれると。ただ、銀行からサポートを受けている以上、落ちたらもう会社には行けないなという感じでした。それで、なんとか1次試験は合格することができました。

――その後、2次試験はどうでしたか?

2次試験までもまた、仕事はしなくていいからと、結局ほぼ半年ぐらい勉強をさせてもらいました。そこまで優遇してもらいましたが1回目の2次試験は残念ながら玉砕してしまいました。銀行からは、創設したばかりの人事制度ということもあって、なんとか合格して欲しい、もう1年チャレンジするようにと言われました。そうして、1回目以上に切羽詰まりながらの状態で、来年こそは合格しないとまずいなと思い、2回目の2次試験では、2次試験対策の学校に通うことにしました。その甲斐もあって、運良く2回目の2次試験では合格することができました。

動き出す歯車

――中小企業診断士にチャレンジしたことで何か変わりましたか?

1回目の2次試験が終わった後で、人事部付として、仕事には戻りました。まだ中小企業診断士の資格にチャレンジしている中で、資格を取っていたわけではなかったのですが、営業店から本部の方に異動となりました。企業経営サポートグループという、いわゆる、中小企業診断士っぽいというと変ですが、企業を相手に経営改善計画などの作成を支援する部署に移りました。結果的に、中小企業診断士を目指したことで、違う道が開けたというところですね。






井尾 生太

井尾 生太 取材の匠メンバー、中小企業診断士
1980年愛知県生まれ、千葉県在住。プラントエンジニアリング企業で製油所や石油化学プラントの設計に従事。ブラジルの現場や中国の駐在など海外での仕事も多数。特許取得の経験を通じて、技術を売ることの難しさを経験。そのことが、中小企業診断士を目指すきっかけとなる。2022年5月に中小企業診断士登録、千葉県診断士協会、東京都診断士協会・城北支部所属。現在は、ものづくり補助金地域事務局などで独立診断士として活動中。

拓け!中小企業診断士の扉~受験奮闘編~カテゴリの最新記事