【濵田健嗣さんインタビュー】「弱い立場の方の支援をしたい」地域支援を自分のゴールとして動く! 

【濵田健嗣さんインタビュー】「弱い立場の方の支援をしたい」地域支援を自分のゴールとして動く! 

【第2回 診断士受験に取り掛かる(苦闘編)】
過去の記事:第1回

【濵田健嗣さんインタビュー】

ハンドルネーム「はまん」でリレー連載をしていた濵田さん。今回は試験勉強開始から合格にいたるまでの努力の日々を語ってもらいました。

「なんとかなるもんだから受けてみろ」(1次試験)

――2015年から勉強開始。1次試験を5回、2次試験を4回受験、うち1次試験は4回連続で合格されていますね

一回目(2016年度)は科目合格、二回目(2017年度)残り3科目で178点でしたが没問で試験合格しました。三回目(2018年度)以降は7教科で420点を超えました。資格学校の先生が保険受験の推奨派で、「何とかなるもんだから」といわれて受験したら、本当になんとかなりました。

――連続で1次合格。何かコツはあるのでしょうか?

一通り勉強しているので基礎はできています。2次試験に関連する主要科目は、2次試験準備もかねて注力しました。得意科目(財務会計)で高得点を確保し、他は60点近辺を維持して、トータル420点を目指しました。2020年度は、コロナ禍での試験環境を確認する意味あいも強かったです。

「地域の人を助けたい」思いと勉強会で乗り越える(2次試験)

――2次試験は4回受験。勉強を続けるうえでの原動力や、支えになったことはありますか?

「やめようかな」と思うときはありました。一番の原動力は、受験のきっかけとなった「地域の人を助けたい」という思いです。「そう思ってたんじゃないの?」と自分に語りかけ、気力を奮い起こしました。支えになったのは、勉強会の仲間です。先に受かった人達から「ここをやったほうがいい」とか、「○○の記事を見たほうがいい」とかケアしてもらいました。

――勉強会というのは資格学校内でつくられたものでしょうか?

資格学校の授業に通っていたメンバーの勉強会です。合格年度は、勉強会メンバーで一番年齢が高かったので、リーダーをしました。後に「リーダーが受験を落ちたケースは今までない」と聞かされて、プレッシャーを感じました。メンバーには、得点開示で239点とか、不合格組のトップメンバーがいました。その方達に追いつこうと、努力しました。

――勉強時間捻出の工夫はされていましたか?

自分の出勤場所と資格学校が徒歩圏内でした。資格学校には早朝自習室があり、朝、資格学校で1.5時間勉強してから出勤しました。あと通勤電車の1時間はテキストを見ていました。それが平日の勉強スタイルで、土曜日は講義・演習の後、勉強会に参加。日曜日は資格学校の自習室で勉強していました。

コロナ禍の受験を乗り越え、晴れて合格

――令和2年度に合格されました。合格年度と、それまでの3回の2次試験では何か違いがありましたか?

最初の2次試験(2017年度)は、準備不足で不合格でした。しかし成績はABCAとまあまあだったため、原因を期間不足と判断して、詳細な敗因分析をしませんでした。結果2回目(2018年度)も失敗。3回目(2019年度)は、直前に発熱して、得意な事例ⅣがC判定で不合格でした。4回目(2020年度)は、過去3回の試験を振り返りました。試験本番にぶっつけでやっていることがあると気づき、「練習でやってこなかったことは本番で絶対やらんぞ!」と決めました。

演習時には、勉強仲間からの指摘、筆記用具の使い方、昼食の取り方、問題用紙の破り方(メモ用紙作成)等、すべて演習時に試して有効性を確認しました。なかでも解答作成時のナンバリングは、有効性を感じたので、本番でも使いました。過去問解答は、通っていた資格学校の解答だけではなく、「ふぞろいな合格答案(同友館)」とか他の資格学校の解答も比較して自分が書けそうな解答、ひろえそうなキーワードや解答要素をまとめました。いろいろ試行錯誤を重ねました。

――丁寧に改善されていった様子がよくわかりました



畑田 清文

畑田 清文 取材の匠メンバー、中小企業診断士
1967年 福島県生まれ。東北大学経済学部卒業後、住設機器メーカーに勤務。2021年1月、診断士試験に合格。同年9月に中小企業診断士登録、東京都中小企業診断士協会城北支部に所属。2022年現在、城北支部青年部と東京協会会員部、荒川区中小企業経営協会に参加中。

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