【岩倉光隆さんインタビュー】 自分軸を明確にして市場を捉えれば道は拓ける

【岩倉光隆さんインタビュー】 自分軸を明確にして市場を捉えれば道は拓ける

【第2回 訪れた機会は確実に捉える】
過去の記事:第1回

【岩倉光隆さんインタビュー】

前回に続き,岩倉光隆さんに診断士資格を取得したきっかけや独立の経緯などを伺いました。どのような環境においても,訪れた機会を確実に捉える姿勢がうかがえました。

訪れた転機

――診断士になられたきっかけを教えてください

大学の法学部を出て数万人規模の大企業にいたのですが,2001年に突然その会社の新規事業開発業務に配属され,数十人規模の新会社立ち上げに関わりました。

新会社立ち上げ関与前は,大企業の縦割組織の中で,経営について何も分からなかったのですが,新会社に企画総務の立場で入り,総務,労務,人事制度構築や事業計画など幅広く関わる中で経営に興味を持ちました。そこの社員の多くは関係会社からの出向者で,経営層と従業員間のトラブルもあり,巻き込まれて大変な思いをしました。当時私は30歳ぐらいで,経営ってなんだろう,組織や財務って何だろうと切実に考えるようになりました。

出向元に戻る直前に,診断士試験を受ける先輩に,2次試験問題を見せてもらいました。それは2001年の組織事例の問題でした。その時の自分が組織トラブルの渦中にいて,事例問題の内容を身近に感じたことから,2004年から中小企業診断士試験向け受験校で勉強しました。そして,2次試験に手こずりながら3回目で合格しました。

――独立しようと思ったのはどのようなことからですか

合格したのは2007年で,在籍した会社の新規事業部門の仕事も面白く,会社も今後10年で新規事業部門の売上を大きく伸ばす2020ビジョンというものを出していました。私もビジョンに沿って頑張ろうと思っていました。そんな中,2011年に東日本大震災が起きたのです。新規事業の方針もたった1週間で,売却できる子会社は全部売却する縮小方針に大きく変わりました。

そうこうする内,私は子会社に出向し,その会社の企画総務業務に携わることになりました。親会社の特命業務も担当しましたが,出向から2年で,その業務がなくなり私の業務の3割程がなくなりました。また,会社業績の悪化により年収も下がっていましたが,診断士資格取得で業務能力は格段に上がっていました。それで社外でも通用すると勘違いして,独立を考え始めました。

会社には,今で言う早期退職のような制度がありましたが,ちょうどそのタイミングで,その制度が財源不足で無くなるという話が出たため,辞めるのはこのタイミングかもしれないと思い,独立を決断しました。

無償の仕事からスタート

――独立してからどのような活動をされたのですか

退職翌日の2013年4月1日に診断士の先輩に創業相談をしました。その時の内容が2つあり,1つが「事業の柱を3つ作れ」,もう1つは事業再生を目指すならと研究会をご紹介頂きました。その研究会出席初日に,有料の事業再生コンサルタント養成講座のPRがあり,その講座の講師が本当に偶然,大学時代のアルバイト仲間で,これは天の声だと思い,受講を即決しました。

その講座でご一緒した方のご紹介で,民間の事業再生コンサルティング会社の面接を受け,4ヶ月間は交通費以外無償の丁稚奉公から仕事をスタートしました。

その中で,関与前の10年間で売上が70%減少した会社の再生支援もありました。4ヶ月目にコンサルティング会社から月4回訪問での仕事をいただきました。それが独立から6ヶ月後の10月か11月にして,やっと頂いた初めてのまとまった有償の仕事です。

その仕事の中で,業績改善手法に加え,日次資金繰り作成や資金調達や関係機関への経営者同行等も経験し,再生コンサルタントとしての業務を覚えていきました。

斎藤 優子

斎藤 優子取材の匠メンバー、中小企業診断士

IT企業にて公共系のパッケージシステムの開発保守でプログラム開発を経験した後、プロジェクト管理や組織運営管理に従事。一企業内にいるよりも広く社会に貢献できる仕事に興味を持ち、中小企業診断士を目指す。2018年中小企業診断士登録。企業に所属しながら、神奈川県中小企業診断協会での活動を中心に行ってきたが、よりきめ細かな支援を行いたいとの思いから、2020年4月に独立。

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